2012年03月03日

東日本大震災を振り返って

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2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。
あれから約1年になります。
その直後から、約1ヶ月後にいたるまでの日記をまとめてみました。
(長文です。)



・3月11日(金) 1日目 [長崎→羽田空港]

『世界が揺れた』

2週間の長崎出張が終わり、長崎空港から羽田空港行きの飛行機へ。
14:46地震発生。空の上。機内のテレビで仙台空港近辺が津波で流されている。
最近、地震が多いとは思っていたが、ついに本丸が来てしまったと覚悟した。
駐機場が一杯で着陸できず、空の上を長い時間旋回。とにかく家族の安否が心配。
16:50頃ようやく着陸したが、飛行機内で待機指示。特別に携帯電話の使用許可が出た。
乗客一斉に電話を始める。もちろん電話は不通。
とりあえず、家族と実家の両親に自身の無事と安否確認のメールを送信。
17:30頃、妻と子ども達、実家の両親の無事を確認して一安心。
今日は羽田空港のターミナルで寝泊まりとなる。
今考えても不思議なのだが、なぜか前日、下着やシャツなど衣類全てを洗濯していた。
これが後から本当に助かった。しばらく水道が使えず、洗濯ができなくなるのだから。
普段、出張最終日前日に洗濯なんかしないのに、無意識で何か感じたのかもしれない。



・3月12日(土) 2日目 [羽田空港→新橋]

『空港で過ごした夜』

新幹線が動かなければ仙台に帰れないから、都内での待機は長期戦になる予感。
空港の屋内といっても、さすがに夜は寒い。特に床が氷のように冷たい。
毛布を配り始めたが、男性は遠慮して配付の列に並ばない。
でも、結構備蓄があったようで、みんなに行き渡り、私も手に入れることができ少し楽になった。
仙台は停電だということだけは分かったが、一切連絡取れず。
twitterでも宮城県以外の情報は入手できるが、肝心の中の様子は分からない。
後で思えばそうだよなと思う。情報を発信する手段がなかったのだから。

私は空港という守られている場所にいることは幸いだった。
すぐに空港内のコンビニで食料を買うことも出来た。
でも、お釣りがなくなったらしく、クレジットカードか電子マネーの利用限定になった。
こんな経験は初めてだ。
また、スマホ1台、携帯1台、PHS1台、計3台持っていたことは、かなり重宝した。
もちろん、電波が届くからこそである。
とりあえず、携帯から大事な連絡先をメモ帳に鉛筆で写した。
こんな時に、近くで酒盛りをして大きな声でしゃべったり笑ったりしている年配の方々がいた。
それを見ていろんな思いがあったが、いつのまにか彼らも無口になっていった。

ほぼ寝られないまま朝になる。
始発でなんとか帰りたい人達で非常に混雑していたため、私は昼までは空港内でおとなしくしていた。
昼過ぎに新橋にホテルを確保。
モノレールに乗り、羽田空港を後にする。

新橋のホテルにチェックインすると、どっと疲れが出てきた。
テレビで東北の被害状況を見てショックを受けた。
今できることは、家族に会う時のために心身元気でいること。
しっかりノートPC、携帯、PHSを充電しておく。
家族と連絡が取れない不安を打ち消すように、たくさんの方々からいろんな形で連絡を頂いた。
孤独や不安な気持ちから少し救われた。
しばらくして、ようやく家族からメールが届いた。とても嬉しかった。
ホテルの部屋にいるが、暖房は我慢し、電球ひとつだけにしている。
これが私が今できること。電気の使用量を最小限にし、節約した電気が仙台に届けと願った。
後にこれが全くとは言わないが、意味がなかったことが分かる。


・3月13日(日) 3日目 [東京(新橋)]

『ホテルから動けず』

どうやって帰ろうか?とルートを検討する。
現時点で、東北新幹線の復旧の目処はまったくたたず。
そこで、JALの羽田−山形便で、山形の実家に行き、そこから仙台に戻る手段がベストと思う。
しかし臨時便含め月曜日まで満席。とりあえず火曜と水曜のキャンセル待ちをする。
電話で山形の両親と相談。
「明日、新幹線で東京から新潟へ。新潟から在来線で鶴岡へ。鶴岡からバスで山形へ。
 うまくいけば夜のうち山形の実家に着く。翌日、家族が待つ仙台に車で行く。」
というプランを立てる。
明日は大変な旅になりそうと思いつつ、JALのページを見ていると、羽田−山形の臨時便が増便されている!
まったく迷わず予約ボタンをポチる。明日の朝の便を予約成功。
本当にラッキーだったと思う。

地震の時に出張等で仙台以外にいた人と連絡を取り始める。
電話をもらったり、かけたり。
しかも数年会っていない友達や仲間だったり。
人とのつながりの大切さを実感する。
たくさんの人の温かさと愛に胸の中感動していた。

コンビニで買い物中、妻からの着信がある。
買い物かごをその場に投げ捨て、外に出て話す。自ずと大きく高らかな声になる。
仙台は大変だけど、大丈夫だから逆に無理しないでと心配される。
せっかく安全な場所にいるのだから、元気でいろと。そして焦らないで落ち着けと。
涙は出ていないが、涙をこらえながら声を聞く。
長い出張だったので半月以上、家族と会っていない。
早く家族の元に帰りたい。

睡眠を取って力を貯めなければならないが、興奮して眠れない。
そのため、恥ずかしながら20年以上ぶりに親にモーニングコールを頼んだ。
せっかく確保できた山形へのプラチナチケットを寝坊で無駄にはできない。
3.11以来、初めて一本だけビールを飲み、なんとか眠る。


・3月14日(月) 4日目 [東京→山形]

『4日ぶりに都内脱出、山形へ』

モーニングコールを待つまでもなく起床できた。
地震当日、一晩過ごした羽田空港にまた戻って来た。
あの日と違い、今は両親、家族と会える希望がある。
まずは山形へのフライト。
空の上では一睡もせず、外を眺めている。
晴天の中、地震の被害を探したが、よく分からなかった。
1時間ちょっとで山形空港に到着。
全国主要な空港にはいろいろ訪れているが、実は山形空港は初である。
荷物を受け取り、外に出ると両親が待っていた。
ホッとした。

その足で、ホームセンターやスーパーを廻る。
品不足の中、食料や灯油タンク、電池、その他生活用品を購入。
知り合いのスタンドで、なんとか頼み込み灯油も手に入れる。
父は二日間頑張ってガソリンスタンドに並び、山形と仙台を往復できるだけのガソリンを入手していた。
私と家族の再会に必要な貴重なガソリンと父に感謝。
実家で備蓄していた米もたくさん分けて貰った。

夜は少しお酒を飲みながら、両親とこれまでの話を語り合ったが、話しはまったく尽きない。
今でも覚えているが、この時食べた白いご飯と焼き鮭、納豆が美味しかった。
この状況の中で両親が私にしてくれた精一杯のもてなしだった。


・3月15日(火) 5日目 [山形→仙台]

『帰還』

最初、母は家で留守番し、父と私だけ仙台に行こうかという案もあったが、母も一緒に行くことになった。
何か大変な事態が起きても、父と母が一緒にいた方が安心だからという判断である。
約一時間半のドライブ。
信じられない位、車が少ない。
仙台に近づくにつれ、いろんなお店が増えてくるが、全てしまっている。
事態の深刻さをますます感じる。

昼前に、家族が避難している妻の実家に到着。
子ども達が暖房のない部屋で、スキーウェアを着ているのが見える。
久しぶりの再会、嬉しいと言うより照れくさかった。
少し遅れて、公園に水を汲みに言っていた妻が戻る。
マスクをしているが肌はがさがさ、苦労の痕がみえるが元気そうだ。

山形から持って行ったおにぎりに皆、黙ってもくもくとかぶりつく。
調理ができず、おかゆなど食べていたらしい。
子ども達が美味しそうに食べている姿に嬉しさを感じた。

妻の実家を後にし、家族揃って自宅に戻る。
水道は使えないが、この日運良く電気が回復した。
家族と一緒にいられることがこんなに幸せなんだなと思った。
そして、しばらくの間「TEAM SEIKO」のジャージを着て暮らすことに決めた。
きっと私を守ってくれるだろうと思って。
明日は、職場に行ってみようと思う。


・3月16日(水) 6日目 [仙台]

『16日ぶりの出社』

3月初旬に出張に行って以来、久しぶりに出社した。
普段は何とも思わない見慣れた顔に安心する。
昼はカップラーメンとお茶が支給されたが、食べずにお土産にした。
出社したといっても、やることは各方面への連絡やメール整理する程度で、15時には会社を出る。
街中を歩いたが、店は閉まってるか、長蛇の列。
タバコやジュースの自動販売機も全て売り切れ。
路上の喫煙所で知らない人達同士で雑談する。
夫に頼まれタバコを買いに来たが、どこにも売ってなく困ってるという奥さんに、数本カンパする。
申し訳ないからいらないというが、どこでも買えないから持っていってと渡す。
こうやって助け合う場面が多く、人との繋がりがとても暖かく感じる。
会社の様子も分かったので、明日は会社を休み、家のことをいろいろやると決める。
夜、お土産で持って帰ったカップラーメン。
カレーヌードルだったはず。家族で少しずつ分けて食べた。
こんなに美味しかったんだっけ?と心から思った。


・3月19日(土) 9日目 [仙台]

『非日常下での買い物(1)』

サンモール一番町で開催されているマルシェ(※定期的に開催される市場)に行った。
食べ物が一切手に入らないので、何か手に入れようと妻と一緒に街に出る。
吹雪で寒い中、人込みの山。もちろん長蛇の列。
妻とは別行動を取り、それぞれ食糧確保に走る。
数時間並び、かけずり回り、冷凍の魚の切り身、うどの煮物、メンチカツを入手。
帰る途中、ちょっと怪しい感じの人が魚やあら、刺身、カニなどを売っていた。
値段はそれなりだったが、ぶりのカマを購入。
儲ける能力があるのは、こういう人達なんだなと思った。

買ってきたものを妻の実家に持って行き、お裾分けする。
あー、風呂に入って、ビール飲んで、ラーメンを食べたい。
これまで当たり前にやってきたことが、実はとても贅沢で幸せなことだったんだなと感じる。

長崎の知人から連絡が来る。
これから送別会をやるんだけど、地震で被害に会った方に申し訳なくてという。
実際、自粛して宴会をキャンセルした方々も多いらしい。
私は言った。
元気な地域は経済活動を止めないで欲しいと。


・3月20日(日) 10日目 [仙台]

『非日常下での買い物(2)』

近くの生協がお店を開けるという情報を聞き、またもや妻と2人で買い物。
もちろん長蛇の列で、入場制限されながらお店に誘導される。
カップラーメン、冷凍の鱈、缶詰、飲み物など、それなりに物は豊富で、
1人10品までという数量限定ではあったが、十分な買い物ができた。
買い占めしなければ皆に行き渡るのだと思った。
ただ、納豆、卵、牛乳、食パンは手に入らない。


・3月21日(月) 11日目 [仙台]

『水道復旧!』

昨日ついに水道が復旧した。
蛇口をひねると水が出るという、当たり前と思っていたことにあらためて感謝。

水道が出ない間は、やかんで沸かした貴重なお湯と、1.5リットルのペットボトルに汲んだ水で全身を洗った。
洗ったというより、拭いたという表現が正しいかもしれない。

我が家はオール電化なので、これでお風呂に入れるようになった。
久しぶりのお風呂は極楽だった。
近くの身内や知り合いに声をかけて家に来てもらい、お風呂に入ってもらった。
お風呂のお礼に、インスタントラーメンやお菓子などを貰う。
みんなで協力して助け合っているなと実感する。

趣味や娯楽は二の次で過ごしてきたけど、昨日から聖子ソングを聴いて元気を貰っている。
明日からは仕事に行く。
不安や困難だらけだが、家族のため、そして地域のため、前に進まなくてはならない。
以前のように友人と語ったり笑ったりしながら、楽しくお酒を飲みたい。
これが今の自分のささやかな目標。


・3月22日(火) 12日目 [仙台]

『ラーメンが食べたい。』

風呂に入れるようになると、更に上の生活を求めてしまう。
とにかく今はコッテリで味の濃いラーメンが食べたい。
味噌の太麺か、豚骨の極細麺。辛味やニンニクなんかも投入したい。


・3月23日(水) 13日目 [仙台]

『聖服』

出張や客先訪問がない限り、社内では「TEAM SEIKO」ジャージ姿で勤務している。
誰からも突っ込みはないので気がついてないのかと思っていたが、実は一部の人達で噂になっていたらしい。
これを着ていると、守られている感じがする。
RPGだったら最強の防具だと思う。「聖服」とでも名付けようか。


・3月24日(木) 14日目 [岩手(盛岡)]

『高速バスで盛岡出張』

出張のため、高速バスで盛岡に移動中。
新幹線が運行していないので、唯一の交通手段。補助席も含め満席。
盛岡駅近くのお店で食べたじゃじゃ麺が美味しかった。
3月は頻繁に盛岡に来ていたが、必ず食べていた気がする。

仕事が終わり、みんなでスーパーに行く。実はこれが楽しみでもあった。
仙台とはまったく違い、食料が豊富で感激する。
カップラーメンやレトルトのカレーやご飯などスーパーの袋1つ分買う。
一緒に出張で来ている人で、卵を買っていった人もいた。
こういう出張なら、食料の仕入れのため毎週来たいと思った。


・3月25日(金) 15日目 [岩手(盛岡)]

『幸せとは?』

ホテルでは朝飯が出ないので、朝飯は昨日買ったカップ焼きそばを食べた。
とても美味しい!
こんなことが幸せだと感じる。
やはり、幸せは降ってくるものでも、与えられるものでもなく、自分で感じるものだと実感。
そうすれば小さなことでも幸せだと思えるようになる。


・3月26日(土) 16日目 [仙台]

『いよいよお酒解禁』

実はお酒は品不足になっておらず、いつでも買える状況だったが、なんとなく自粛していた。
しかし、本日家族で買い物に行った時、ついにビールを12缶を購入した。
娘に、「何でこんな時にビールなんて買うの?」と言われた。
「おとうは、どんな時でもビール飲みたいから。」と答えた。
久しぶりの家でビール、幸せだった。


・3月27日(日) 17日目 [仙台]

『遠地からの贈り物』

長崎から宅配便が届く。
米やインスタントカレー、ラーメンなど貴重な食料がぎっしり。
飲み屋をやっている友人とお店で働いている方々、さらに常連のお客様からの連名だった。
励ましの手紙と、なぜか常連みんなで飲み、泥酔している様子の写真が入っていた。
嬉しさと同時に笑いがこみ上げてきた。
元気を貰ったので、頑張らなくてはと思う。


・3月31日(木) 21日目 [仙台]

『年度末&卒園式』

「うれしかったこと おもしろかったこと
 いつになっても忘れない♪
 桃のお花も綺麗に咲いて
 もうすぐみんなも一年生♪」

 今日は次女の卒園式。年度最終日、何とか式を行うことができた。
 お母さん達は泣いていて、子ども達は笑顔。
 私は、担任の先生の涙に心がぐっときた。
 長女、次女も同じ担任で思い入れがあったし、信頼できる先生だったから。


・4月1日(金) 22日目 [仙台]

『頑張るのが辛い』

地震後も前向きに、元気な人や元気な地域からいつもの生活に戻して行こうと周りの人達に説き、
自分にもいい聞かせて頑張って来たが、いろんなことがありすぎて頑張れない気がしてきた。
だから、この週末は徹底的に落ち込むことにする。
みんな無理して頑張っているから、そろそろ少し力を抜かないとダメな時期かもしれない。
頑張らない。弱音も吐く。でも負けたくはない。


・4月2日(土) 23日目 [仙台]

『娯楽も必要』

今日は自由に好きなことをやると決めた日。
年末に買ったブルーレイディスクレコーダーに溜め込んだ番組を編集した。
歌番組は聖子さんの場面だけ残して削除。
見ない番組も思い切って削除。フォルダ分けして整理。頭もスッキリしてきた。
時には震災から頭を切り換えていく必要があるのかもしれない。


・4月3日(日) 24日目 [仙台]

『久しぶりの回転寿司』

昨日より営業を再開した回転寿司に行ってきた。
行動パターンは皆さん同じ、すごく賑わっていた。
久しぶりの寿司はとても美味しく、デザート含め、家族4人で26皿を食べた。

昼食後、近所の床屋に行く。
お店の方やお客さんといろいろ近況報告と情報交換をした。
こういう近所のコミュニティーの重要性を再認識した。
スーパーだけではなく、最近行ってなかった八百屋さんや魚屋さんにもこれからは行くようにしよう。


・4月4日(月) 25日目 [仙台→青森]

『毎日歩いて健康に』

地下鉄が復旧するまで、自宅から最寄り駅の間を毎日40分歩いている。
聖子さんの曲を聴きながらなので、以外と苦にならない。
心の中で歌いながら弾むように歩いている。
でも、会社帰りはどうしても疲れてしまうことがあり、途中で小休止することもある。

食糧不足から、間食も夜食も食べないし、こうして毎日歩いているため、ズボンがゆるくなり、ベルトも少し短く切った。
体重も2〜3キロ減っている。
これはなかなかいいことかもしれない。
後日談だが、一年後、体重やウエスト回りが元に戻ってしまったことは非常に残念である。


・4月6日(水) 27日目 [青森]

『青森出張』

4月4日から出張で青森に来ている。
仙台から盛岡まで高速バスで3時間。盛岡から新青森まで新幹線で1時間。新青森から青森まで10分。
乗り換えの待ち時間を考えると、かなり時間がかかる。
交通機関が復旧していないので仕方がない。

夜寝る前に、ネット上にこんな書き込みをした。

「強い地震が来たときに、いつも家にいなく、県外にいる自分。申し訳ない気持ちになってしまう。」

3.11だけではなく大きな余震の時も、出張のため不在にしている自分の心境を書いたのだろう。

まさか、書いた時には翌日に最大級の余震が発生するとは思っていない。
何か感じるものがあったのだろうか?不思議なものである。


・4月7日(木) 28日目 [青森]

『大きな余震。』

飲んでホテルに帰り、酔っぱらって寝ていると、部屋が動いているような気がする。
地震だ。かなり大きい。後で知ったがマグニチュード7.4とのこと。
しばらく揺れた後、停電になり、非常用電源のと思われる小さな灯りだけが点灯した。
家族へ電話するがまったく通じないので、こちらの無事だけメールする。
水も出なくなったが、お湯が少しだけ出たので、濡れタオルを作って身体や顔を拭いた。
もしかしたら、またお風呂に入れない生活になるかもしれないから。

もう眠れない。外からは消防車のサイレンが聞こえる。
震災後、会社から支給された携帯ラジオとミニライトがここで役に立った。
いつの間にか、非常電源の灯りも消え、暗闇となる。
やっといろいろ復興して来たのに、またやり直しかとがっかりする。
後で知った話では、この日の余震の方が3.11よりも被害が大きかった所もあったようだ。
眠れないけど、少しでも体力回復しておかないと。
なんかちょっと具合が悪くなってきた。


・4月8日(金) 29日目 [青森→盛岡]

『青森から少しずつ仙台へ』

眠れなかった。外は結構強い雨が降っている。
相変わらず停電だし、水道もでない。
ホテルでは宿泊を受け付けないとのことで、ホテルのロビーにいることにした。
フロントで毛布を借りて、ロビーの椅子で休む。
出張先の勤務場所には自宅待機命令が出たこともあり、ゆっくりすることにした。

昼過ぎに電気が復旧。新幹線は動いていないので、高速バスで盛岡まで行くことに決めた。
盛岡まで3時間。うまく行けば盛岡から仙台の最終高速バスに乗れるかもしれないと希望を抱く。
自宅から連絡があり、仙台も電気が復旧したとのこと。
18時半過ぎに盛岡に到着したが、この先の高速道路が陥没したため、通行止めとのこと。
本日は残念ながらここまで。
ホテルを確保し、近くの居酒屋で軽くお酒を飲んで早めに寝ることとする。
テレビのニュースで、高速道路の復旧は数日かかると言っていた。
どうなってしまうのだろう。


・4月9日(土) 30日目 [盛岡→仙台]

『長時間のバス移動』

今日も雨降り。
盛岡発仙台行きの高速バスに乗ることができた。
高速道路通行止めの箇所は一般道で迂回するとのこと。
本日の運行を決めたバス会社及び運転手に感謝した。
通行止めの水沢IC手前で4km渋滞。そのため北上金ヶ崎ICで4号線に降りたが、一般道も渋滞。
このような事態だから仕方がないが、1時間20分遅れで休憩場所の中尊寺PAに到着。
2時間半休憩なしはきつかった。
さらに1時間半バスに揺られ、ようやく仙台に到着。
今日は4時間以上バスに乗っていた。
昨日と合わせれば、青森から仙台までバスで約8時間乗っていたことになる。


・4月10日(日) 31日目 [仙台]

『地震への備え』

3.11から約1ヶ月。気持ちがちょっと緩んだ時に大きな余震があったため、ホームセンターで防災用品を買い足すことに。
お店には初売り以上と思われるほどのたくさんの客がいて、レジは長蛇の列。
懐中電灯、ラジオ、水タンク、ガソリン携行缶など、防災グッズが飛ぶように売れている。
家に戻ってからは、ネット通販でソーラーLEDランタン、充電式扇風機を注文した。
入荷まで1ヶ月以上かかる上、若干値段が高い気もするが、夏に備えるため仕方がない。
商売が上手い人はこういう時に儲けるのだろうな。


・4月11日(月) 32日目 [仙台→山形]

『山形の実家へ』

明日は山形空港から羽田経由で長崎に出張に行く。
そのため前日に山形の実家に移動し、泊まることにした。
実家では両親と飲み会。話題は地震のことばかり。
親父が先に寝て、おふくろが付き合ってくれたが、飲み過ぎだと言われてお開き。
久しぶりの実家で和んだ。


・4月12日(火) 33日目 [山形→長崎]

『震災後、再び長崎へ』

親父に山形空港に送ってもらう。
小さな空港が人で大賑わい。
震災前、山形県人なのに、この空港は不要と思っていた自分に反省。
今、立派に空のライフラインとして大活躍している。
平常時、コストを抑えて維持していく方法など真剣に考えてみてはどうかと思う。

羽田から長崎に飛び、無事に到着。
心配して頂いたたくさんの方々にお礼をしつつ、四日間の仕事をこなす。
普通に飲み屋が開いていて、普通に生ビールを飲めることに感激。


・4月15日(金) 36日目 [長崎→羽田空港]

『長崎出張が終わって』

長崎から羽田空港に飛ぶ。
1ヶ月ちょっと前に震災に遭い、この場所に1日半いたんだなと思い出して胸が痛む。
明日は、嬉しいことに羽田空港から仙台空港へフライト。
仮とはいえ、復旧した仙台空港がどうなっているか楽しみ。


・4月16日(土) 37日目 [羽田空港→仙台空港]

『仙台空港での光景』

着陸前の仙台上空の光景にがく然。
そして、仙台空港から駅に向かうバスの中で見える光景にがく然。
現実とは思えない信じられない光景が広がる。
思わずバスの中で「えっ!」と声を出してしまった。
がれきの山、つぶれた車。
これから、どうやって復興していったらいいのか考えさせられる。



あとがき

あの震災から1年。
この社会やこれまでの価値観が全て変わるような1年でした。
人類史上最悪の原発事故など、一生向き合っていかなくてはならないことも起きてしまいました。
それでも、与えられた運命と向き合って頑張っていかなくてはなりません。
悲観ばかりではなく、幸せを探し、感じながら、素敵な人生にしていきたいと思います。

私がこうして震災のことを記録に残した一番の理由は、娘達のためです。
娘達が大きくなったら、この震災の記憶は薄れてしまうでしょう。
でも、大人になった娘達がこれを読んで、私や妻はどんな気持ちでどんな行動を取っていたか、
そこから少しでも何か感じてくれれば嬉しいです。

posted by ヒロ at 08:16| 宮城 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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